鉄牛寺の沿革と歴史

   原田・安谷の禅仏教宗教法人(三宝教団又は“三宝”で良く知られている)は、原田老師と彼の弟子であり最も側近の協力者である安谷白雲により日本で設立された。この宗教法人は日本の戦後で最も活動的で偶像崇拝をしない仏教の宗教法人のひとつであり、曹洞宗(特に永平道元と彼から四代目の弟子の螢山紹瑾の教え)、臨済宗(特に白隠慧鶴の教え)の伝承による要点を結合させた。一方その嗣法を継いだ者は、ドイツ、スイス、オーストラリアで活動している。

原田・安谷禅仏教宗教法人の仏教継承者及び師

 原田大雲祖岳(1871/10/13~1961/12/12)

 曹洞宗の戒律継承者である原田祖道嚇照(1844-1931)は永平道元(1200-1253)から31代目の曹洞宗の老師であり、毒湛(1840-1917)は白隠慧鶴(1686-1769)から8代目の臨済宗の老師である)

伴鉄牛(1910/6/4~1996/1/12)

  伴老師は岩手県花巻市に1910/6/4に生まれ、1917/7/9に淵沢知明老師に就いて得度し曹洞宗の僧となった。1931~1938発心寺専門僧堂で修業し、1938に駒沢大学に入学し1941に卒業した。1947発心寺専門僧堂の単頭となり、1948岩手県法恩寺の単頭となって東照寺の住職となった。彼は原田老師から允可を得、岩手県の観音寺、大分県の鉄牛寺を建立した。1992/5/10鉄牛寺の住職を辞し1996/1/21寂滅、享年87歳。

  

 ポール・鉄心・シルバーマン(1960/6/6~)

ポール鉄心は1978に伴老師の元で修業を始めてから1989に伴鉄牛老師の最後の戒律継承者に選ばれた。1985に伴老師は最後の禅寺である鉄牛寺を建立始めた。この禅寺は大分県の深山幽谷に位置しており純粋な修行道場として設計された。伴老師はポール鉄心を1989に独立した寺として運営する為に派遣し、1993に公式に彼を住職とした。それ以来、ポール鉄心は全地球上からの参加者に坐禅・瞑想を数百回行ってきた。